731部隊と国立感染症研究所の問題

731部隊(ななさんいちぶたい)は、第二次世界大戦期の大日本帝国陸軍に存在した研究機関のひとつ。正式名称は関東軍防疫給水部本部で、731部隊の名は、その秘匿名称(通称号)である満州第七三一部隊の略。なお、1941年3月に通称号が導入されるまでは、隊長であった石井四郎の苗字を取った石井部隊と通称された為、こちらの通称も使用される。

満州に拠点を置き、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発を人体実験をして行い、実際に中国各地で、細菌戦を行った。
東京の新宿戸山の陸軍軍医学校と連携し、そこからの指示で、各種実験を行い、データなどを共有した。
731部隊の支部は、牡丹江、林口、孫呉、ハイラル、大連にあった。
また、防疫給水部は、北支那派遣軍防疫給水部(北京)、中支那派遣軍防疫給水部(南京)、南支那派遣軍防疫給水部(広東)、南方軍防疫給水部(シンガポール)にもあり、その下に支部もあり、細菌培養、人体実験等を行っていた。
731部隊、支部、各防疫給水部、陸軍軍医学校を全部含めて、石井機関と呼ばれていた。
 
敗戦直前に、隊員たちは、中国ハルピンからいち早く逃亡し、日本へ帰国した。
731部隊員は、戦後、アメリカの4次にわたる調査を受けるが、その過程で、取引が成立し、731部隊員は全員戦犯免責され、その研究データは、アメリカに渡された。
その結果、731部隊の上級隊員は、何の反省もなく、大学教授や研究機関等、日本医学界で活躍した。




            細菌の注射                        凍傷実験


    731部隊全景              初代、第3代部隊長 石井四郎


        731部隊の設置には、大元帥昭和天皇の裁可があった


                          皇族の三笠宮が731部隊を視察






            新宿戸山にあった陸軍軍医学校
731部隊は陸軍軍医学校(新宿戸山)と連絡を取り合っていた(今その場所に国立感染症研究所が建っている)
1989年、この跡地から62体の人骨が発見された。731部隊との関連が疑われている。
詳しくは「究明する会」で。


       戦時中、国家総動員法が制定され、731部隊は医学界の研究者を部隊に引っ張った。。

  731部隊は、ノミにペスト菌を注入して、ペストノミを量産し、中国各地に撒いた。

      731部隊は中国各地に細菌(ペスト菌、コレラ菌、チフス菌等)を撒きm細菌戦を行った。

現在分かっている細菌戦
1939年 731部隊 ノモンハン事件にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


戦後、731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
東大伝染病研究所は、1947年に主に検査・製造に関わる部門などを厚生省所管の国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)として分離し、1967年に伝染病研究所を改組して医科学研究所が設置された。
国立予防衛生研究所所長と731部隊員の繋がり(教えてげんさんより
(所長が731部隊員であれば、元隊員もたくさん入るだろう)
戦争中細菌戦部隊及び組織に属していて、戦後、国立予防衛生研究所に関係した人です。

*朝比奈正二郎 (当時)731部隊第1部第9課(水棲昆虫)長。発疹チフスワクチン製造
(戦後)国立予防衛生研究所 名誉所長
*小林六造   (当時)京大教授、防疫研究室嘱託
(戦後)国立予防衛生研究所 初代所長
*小島三郎   (当時)東大伝染病研究所教授、栄1644部隊所属 サルモネラ菌の研究
(戦後)国立予防衛生研究所 第2代所長
文部省百日咳研究班員
*小宮義孝   (当時)華中衛生研究所(栄1644部隊関連)
(戦後)国立予防衛生研究所第4代所長
*柳沢謙    (当時)陸軍軍医学校防疫研究室で嘱託として結核研究 凍結乾燥BCG
(戦後)国立予防衛生研究所 第5代所長
*福見秀雄   (当時)陸軍軍医学校防疫研究室  インフルエンザ
(戦後)国立予防衛生研究所 第6代所長
文部省百日咳研究班員
(注)1951年、国立東京第一病院に入院中の乳児たちに、
両親に告知や許可を受けずに大腸菌を飲ませる実験を行なった
*村田良介  (当時)1644部隊
(戦後)国立予防衛生研究所 第7代所長

*倉内喜八郎  (当時)731部隊細菌戦研究班
(戦後)永寿病院院長


自衛隊に入った731部隊員・・増田美保、近喰秀大、神子謙、金原節三、井上義弘、中黒秀外之、園口忠男、高橋三郎、佐伯実、木村直正など

文春オンラインより
コロナ禍で浮かび上がる感染研、永寿病院と「七三一部隊」の数奇な縁戦後も「元七三一部隊員」のネットワークが形成されていた 



上昌広氏激白 新型コロナ対策で“人体実験”が行われている(日刊ゲンダイデジタル)














岡田晴恵教授、モーニングショー内で国立感染症研究所のOBと暴露。


厚労省が政権に忖度か 感染者急増の北海道で“検査妨害”
日刊ゲンダイデジタル

公開日: 更新日:

 日を追うごとに感染者が拡大する新型コロナウイルス。積極的に検査を行わない安倍政権に“感染者隠し”の疑いが浮上している。検査を受けられない「検査難民」が続々と顕在化し、国民から怒りの声が上がっている。そんな中、厚労省が“検査妨害”していたことが発覚した。国民の健康を守る省庁が“感染者隠し”の片棒を担いでいたのだから許されない。
27日の衆院予算委員会で、
立憲民主党の川内博史議員の質問で驚きの事実が発覚。25日に厚労省の研究機関「国立感染症研究所」から北海道庁に派遣された3人の専門家が「検査をさせないようにしている疑念がある」と指摘したのだ。

 道の対策本部に派遣された3人は、政府が策定した基本方針に記載のある〈入院を要する肺炎患者の治療に必要な確定診断のためのPCR検査〉の実施を必要以上に強調。暗に、「軽症の患者は検査するな」との意向をにおわせ、道職員や保健所職員の間で「検査し過ぎてはいけないのか……」という空気が生まれているという。川内議員は道議会議員から聴取した内容だと明かした。
加藤厚労相は「3人がそのことを言った?うーん……」と首をかしげていたが、本当に知らないのならあまりに無責任というものだ。川内議員に情報提供した立憲民主党の武田浩光道議がこう言う。

「北海道の対策本部に東京から3人が派遣されて以降、『感染疑い』の方がなかなか検査してもらえなくなってしまいました。医者を通じて検査の要望をしても、保健所に断られてしまうというのです。それまでは、37.5度以上の熱が4日以上続く、などといった条件に合致すれば、比較的スムーズに検査してもらえた。とにかく『重症者優先』を訴える3人が来たことで、状況が変わってしまいました」
 
安倍政権が専門家3人を北海道に送り込んだのは、検査件数を抑え、感染者数を増やさないようにするためだった疑いが強い。現在、北海道の感染者数は54人と全国最多となっている。理由は、重症化する前から検査を認めてきたからだとみられている。
しかし、検査件数を抑えることで感染者数を少なく見せかけようとしているのなら、本末転倒もいいところだ。国会で質問した川内議員は改めてこう話した。

「本来は検査体制を拡充し、陽性の方を早期に発見することが、感染症対策の基本です。早期なら重症化を防げる可能性があります。しかし、政府にはそういう態度が見られません。基本方針にも『患者の早期発見』といった記載はない。結局、政府は検査を拡大することで、多くの陽性患者が発覚することを恐れているのではないか。実態を見えなくするために、検査拡大を拒んでいるのだとしたら許されません」



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